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ヨハネによる福音書 8

書

イエスのもとに連れて来られた女

姦淫の場で捕らえられた女を訴える者たちは、一人また一人と石を置き、イエスは彼女を罪に定めない。そこから議論は激しさを増す。イエスは父のもとで見たことを語り、彼らはアブラハムを持ち出し、イエスの「わたしはある」に彼らは石を取ろうとする。

第8章。

しかし、イエスはオリーブ山へ行かれた。

夜明けに、イエスは再び神殿に来られた。民衆が皆、みもとに集まって来たので、イエスは座って彼らに教え始められた。 律法学者たちとファリサイ派の人々が、姦通の場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、 イエスに言った。「先生、この女は姦通の現場で捕らえられました。 モーセは律法の中で、こういう女は石で打ち殺せと、わたしたちに命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」 彼らがこう言ったのは、イエスを試して、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。

彼らが問い続けたので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げなさい。」

そして、再びかがみ込み、地面に書き続けられた。

これを聞いた者たちは、年長者から始めて、一人また一人と立ち去り、イエスがひとり残され、女はそこに立ったままであった。

イエスは身を起こして女に言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」

女は言った。「主よ、だれも。」イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」

わたしは世の光である

イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩まず、命の光を持つ。」

するとファリサイ派の人々が言った。「あなたは自分について証しをしている。あなたの証しは真実ではない。」

イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について証しをしても、わたしの証しは真実である。自分がどこから来て、どこへ行くのかを、わたしは知っているからだ。しかし、あなたがたは、わたしがどこから来て、どこへ行くのかを知らない。 あなたがたは肉に従って裁く。わたしはだれをも裁かない。 たとえ裁くとしても、わたしの裁きは真実である。なぜなら、わたしはひとりで裁くのではなく、わたしと、わたしをお遣わしになった御父とが、共に裁くからだ。 あなたがたの律法には、二人の証言は真実であると書いてある。 わたしは自分について証しをし、わたしをお遣わしになった御父も、わたしについて証しをしてくださる。」

彼らは言った。「あなたの父はどこにいるのか。」イエスは答えられた。「あなたがたは、わたしをも、わたしの父をも知らない。もしわたしを知っていたなら、わたしの父をも知っていたはずだ。」

イエスは神殿の中で、献金箱のある所で教えていたとき、これらのことを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時が、まだ来ていなかったからである。

イエスは再び彼らに言われた。「わたしは去って行く。あなたがたはわたしを捜すが、自分の罪のうちに死ぬ。わたしの行く所に、あなたがたは来ることができない。」

下から、上から

するとユダヤ人たちは言った。「『わたしの行く所に、あなたがたは来ることができない』と言うが、自殺でもするつもりだろうか。」

イエスは言われた。「あなたがたは下から出た者、わたしは上から来た者である。あなたがたはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。 だから、あなたがたは自分の罪のうちに死ぬと、わたしは言ったのだ。もしあなたがたが、『わたしはある』ということを信じないなら、あなたがたは自分の罪のうちに死ぬことになる。」 a a v24 イエスは神の御名を自ら名乗っておられる。「わたしはある」とは、わたしたちの父が燃える柴の中でモーセにご自分を示された時の御名である(出エジプト記3章14節)。群衆はこの章の後の部分でこの主張を理解し、冒涜のかどでイエスを石で打ち殺そうとした(59節)。

そこで、彼らは言った。「あなたは、いったいだれなのか。」イエスは言われた。「それは、初めからわたしがあなたがたに言ってきたとおりの者である。

あなたがたについて言うべきこと、裁くべきことは、たくさんある。しかし、わたしをお遣わしになった方は真実であり、わたしはその方から聞いたことを、世に向かって語るのである。」

彼らは、イエスが御父について語っておられたことを悟らなかった。

そこで、イエスは言われた。「あなたがたは、人の子を上げたとき、初めて、『わたしはある』ということ、また、わたしが自分では何もせず、ただ御父が教えてくださったとおりに、これらのことを話しているということを、知るようになる。 わたしをお遣わしになった方は、わたしと共におられる。この方は、わたしをひとりにしてはおかれなかった。わたしが、いつもこの方の御心に適うことを行っているからである。」

わたしの言葉にとどまりなさい

イエスがこれらのことを話しておられると、多くの人々がイエスを信じた。

イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「あなたがたは、わたしの言葉にとどまるなら、本当にわたしの弟子である。 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする。」

彼らはイエスに答えた。「わたしたちはアブラハムの子孫であって、今までだれの奴隷になったこともありません。どうして『あなたがたは自由になる』と言われるのですか。」

イエスは答えられた。「はっきり言っておく。罪を犯し続ける者はだれでも、罪の奴隷である。 奴隷はいつまでも家にとどまることはないが、子はいつまでもとどまる。 だから、御子があなたがたを自由にすれば、あなたがたは本当に自由になる。 あなたがたがアブラハムの子孫であることは、わたしも知っている。それなのに、あなたがたはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉が、あなたがたの中に入る余地がないからである。 わたしは、わたしの父のもとで見たことを話している。ところが、あなたがたは、自分の父から聞いたことを行っている。」

彼らは答えた。「わたしたちの父はアブラハムです。」イエスは言われた。「アブラハムの子供なら、アブラハムの行った業を行うはずだ。 ところが今、あなたがたは、わたしの父から聞いた真理をあなたがたに告げたこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムは、そんなことはしなかった。 あなたがたは、自分の父の業を行っている。」彼らは言った。「わたしたちは姦淫によって生まれた者ではありません。わたしたちにはただひとりの父、神ご自身がおられます。」

イエスは言われた。「もし神があなたがたの父であるなら、あなたがたはわたしを愛するはずだ。わたしは神のもとから出て、ここに来ているのだから。わたしは自分勝手に来たのではなく、その方がわたしをお遣わしになったのである。 なぜ、あなたがたはわたしの話すことが分からないのか。わたしの言葉を聞き入れることができないからである。 あなたがたは、自分の父である悪魔から出た者であり、その父の欲望のままに行おうとしている。悪魔は初めから人殺しであって、真理に立っていない。彼の内には真理がないからである。彼が偽りを言うときは、その本性から言っている。彼は偽り者であり、偽りの父だからである。 b b v44 イエスは、エデンにおける根源的な偽りを名指しで暴いておられる。エバに、わたしたちの父が良いものを与えずにおられると告げた蛇——御父ご自身を拒んだあの蛇——こそ、最初の偽り者であり、わたしたちの父を遠い存在であるかのように描くすべての偽りの父である。御子を拒む者は、アブラハムでも神でもなく、その父を自分の父としているのである。 しかし、わたしが真理を語るので、あなたがたはわたしを信じない。 あなたがたのうち、だれがわたしに罪があると責めることができるのか。わたしが真理を語っているのなら、なぜわたしを信じないのか。 わたしたちの父から出た者は、父の言葉を聞く。あなたがたが聞かないのは、わたしたちの父から出た者ではないからである。」

ユダヤ人たちは答えた。「あなたはサマリア人で、悪霊に取りつかれていると、わたしたちが言うのは、当然ではないか。」

イエスは答えられた。「わたしは悪霊に取りつかれてはいない。むしろ、わたしの父を敬っているのだ。それなのに、あなたがたはわたしを辱めている。 わたしは、自分の栄光を求めてはいない。わたしたちの父がそれを求めておられ、また裁いてくださる。 はっきり言っておく。だれでもわたしの言葉を守るなら、その人は決して死を見ることがない。」

ユダヤ人たちは言った。「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今こそ分かった。アブラハムは死に、預言者たちも死んだ。それなのに、あなたは『わたしの言葉を守る者は、決して死を味わうことがない』と言う。 あなたは、死んだわたしたちの父アブラハムより偉大なのか。預言者たちも死んだのだ。あなたは、自分をいったい何者だと言うのか。」

イエスは答えられた。「もしわたしが自分自身に栄光を帰するなら、わたしの栄光は無に等しい。わたしに栄光を与えてくださるのは、わたしの父である。あなたがたが『わたしたちの神だ』と言っているその方である。 あなたがたはその方を知らないが、わたしは知っている。もしわたしが、その方を知らないと言えば、あなたがたと同じように偽り者になる。しかし、わたしはその方を知っており、その言葉を守っている。 あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを喜んでいた。そして、それを見て喜んだ。」

ユダヤ人たちは言った。「あなたはまだ五十歳にもならないのに、アブラハムを見たのか。」

イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、わたしはある。」 c c v58 「わたしはある」は、モーセに告げられた神の御名(出エジプト記3章14節)を響かせている。それは自らを神とする主張であり、だからこそ人々は石を取り上げたのである。

そこで、彼らはイエスに投げつけようとして石を取り上げた。しかし、イエスは身を隠して、神殿から出て行かれた。

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